レーサー目線で製作された、実用性の高いクロノグラフ、タグ・ホイヤー『カレラ』

レーサー目線で製作された、実用性の高いクロノグラフ、タグ・ホイヤー『カレラ』

1963年に誕生した人気モデル


 現在、タグ・ホイヤーのフラッグシップとされているコレクションが『カレラ』である。ホイヤー社の4代目、ジャック・ホイヤーの肝いりで1963年に誕生した人気モデルで、シンプルで視認性のいいデザインもあり、瞬く間に人々に受け入れられ世界的な大ヒットとなっている。

 ただ、80年代前半から2004年に復活するまで約20年、生産されない期間がある、という不思議な歴史を持ったコレクションでもある。

 しかもその間の85年には、ホイヤー社はのTAGグループ傘下に入り“TAGホイヤー”と社名が変更されている。その後、90年代にTAGグループから外れ、99年にLVMH傘下となるのだが、“TAG”の文字は外れずに、社名(ブランド名)は現在に至るまでタグ・ホイヤーのままである。

 ちなみに、2000年代に筆者は当時のCEOにインタビューすることになり、「なぜ、もう関係のないTAGの文字を取らないのですか?」と質問したところ、「なぜ取らないといけない」と強めに言われてしまい、そこは未だに謎のままである。



『カレラ』が生まれたのは、ジャック・ホイヤーがオリンピックなどで培ってきたクロノグラフの技術を活かせる、カーレーサーのニーズに着目していたからだ。そして、友人のレーサーから「カレラ・パナメリカーナ・メキシコ」の話を聞かされたことで、プロジェクトが動き出したのである。


1950年より開催された公道レース


「カレラ・パナメリカーナ・メキシコ」は、すでに世界的名声を得ていたイタリアの「ミッレミリア」や「タルガ・フローリオ」といったレースを手本に、1950年より開催された公道レースのこと。

 アメリカとの国境付近をスタートし、グアテマラの国境付近までの約3000kmのルートを5日間かけて走破するもので、その長いコースには、延々と直線が続く平野部や曲がりくねった未舗装道路がある険しい山岳区間があったりと、一筋縄ではいかない変化があった。ドライバー、クルマともにタフでなければ走りきれないことから当時“世界でもっとも過酷なレース”とも呼ばれていた。

 参加車もキャデラックやリンカーン、パッカード、メルセデス・ベンツ、フェラーリ、そしてポルシェといった錚々たるメーカーが揃っており、とても大規模なレースだったこと物語っている。

 ジャック・ホイヤーは、そのレースで起こったさまざまなことを聞かされ、イマジネーションを膨らませていったという。そのなかでも、友人のF1チャンピオン、ファン-マヌエル・ファンジオが53年に優勝したこと、多くの死者を出して54年の大会を最後に中止になったことが印象的だったと語っている。そして大会名にある“カレラ”という語感が気に入ったこともあり、そのままモデル名にして製作へと動き出したのだ。

 63年に登場したファースト『カレラ』は、レーシングカーのコクピットを模した文字盤デザイン、1/5秒の目盛がついたフランジなど、ドライバーが着用したときの実用性や操作性を持ち、高い視認性、耐衝撃性、優れた防水構造が備えられていた。自らもレーサーであったジャック・ホイヤーは、カーレースで必要とされるものを知り尽くしており、その経験を注ぎ込んだのだ。



『カレラ』は、とても実用性の高い腕時計ながら、競合のオメガ『スピードマスター』や『シーマスター』に比べ、やや安めで、概ね20~40万円台のレンジになっている。復活後の2000年代に発売されたモデルも現行モデルの半分くらいの価格で手に入るので、コンディションのいいものは狙い目である。

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