1963年に発売されたブライトリングのトップタイム(Ref.810)。回転計算尺などコストアップにつながる複雑な機構を採用しないことで、若い人にも入手しやすい手頃な価格を実現した。搭載ムーブメントはヴィーナスの名機Cal.178。このシンプルさは当時のブライトリングとしてはやや異質だが、今から10年ほど前に発売された「トランスオーシャン・クロノグラフ」のデザイン・ベースにもなった
ライターF君が愛用していた
シンプルさを極めたブライトリング
20代の終わり頃だから、もう30年以上も前。私はあるカタログ・プロジェクトに参加し、青山のショップに足繁く通う日々を過ごしていた。
そこにスタッフとして集まったのは、若手のライターやスタイリストたち。そのひとりにモノ情報誌で活躍するライターのF君がいた。
ライダーであるF君はいつも愛車で打ち合わせにやってきたが、ある時、彼の左腕にシンプルでカッコいいクロノグラフが嵌められているのに気づいた。
「そのクロノグラフ、カッコいいね。どこの?」「これ? ブライトリングです」「エッ? ブライトリングにこんなシンプルなモデルあったっけ? ちょっと見せてくれる?」「はい」
手渡されたブライトリングを見ると、ブラックのダイアルにホワイトで30分と12時間の積算計、スモールセコンドが入り、6時位置のインダイアルの上にはか『TOP TIME』とモデル名が入っていた。
「『トップタイム』っていうんだ。初めて見たよ」
当時、私の知っているブライトリングといえば回転計算尺を装備する『ナビタイマー』など、複雑で精密な表示と機能を搭載するモデルばかり。だからF君のシンプルなクロノグラフは実に意外だった。
「いいねぇ。どこで買ったの?」「浅草伝法院通りの時計屋です」
彼の言う通り、伝法院通りには古着屋や時計屋などが並び、古い腕時計も売られていたが、ブライトリングがあったなんて予想外。
「よく見つけたね。さすがF君」「それほどでもないですよ」
と照れるF君だったが、私は正直、ちょっと悔しかったのだ。
『トップタイム』の裏蓋。当時のブライトリングでは、純正のケースであれば裏蓋のロゴの下にリファレンス番号が刻印されているのが特徴。外周部には「WATERPROOF」とあるが、スナップ式なので、それほど強力な防水性は期待できないだろう
単行本の打ち合わせで
唐突に知らされたF君の訃報
そんな趣味的な話でも盛り上がりつつ、若手クリエイター(と、自分で書くのはちょっと面映いが…)によってスタートしたカタログ・プロジェクトだったが、我々のエコロジー志向や自然回帰志向ばかりが空回りした結果、あまり良い反響を得られず頓挫しチームは解散。F君や他のスタッフとも会わなくなってしまった。
それからおよそ1年半後、私は某老舗メンズファッション誌の企画によるアイテムごとの単行本シリーズの原稿を依頼され、打ち合わせに出向いた。そこで編集担当者と話していると、彼はライターのF君を良く知っていることがわかった。
「そういえばF君は元気ですか?」「あれっ? 名畑さん知らないんですか?」
「何?」「Fさんは去年、バイク事故で亡くなったんですよ」「えっ!」
聞けば、出版社での徹夜作業の後、愛用のバイクで帰宅中に事故を起こし帰らぬ人となったのだという。
「そうだったんですか…」
F君が亡くなったのは残念だったが、実は私はその時、F君のブライトリングはどうなったのだろう、と不謹慎にも考えてしまった。ただ、事故の時にも着用していただろうから、あの『トップタイム』はF君と一緒に天国に召された、と思うことにした。
地方取材での街歩きがもたらした
「トップタイム」との運命的な出会い
それからさらに2年ほどたった頃、私は手作り万年筆店の取材で、とある地方都市を訪れた。だが、約束の時間にはちょっと間がある。そこで取材前の空き時間を街歩きにあてることにした。すると駅前通りを少し入った路地にガラクタを並べ立てた不思議な店を発見。狭い店に入ってガラスケースを眺めると、「BREITLING」とダイアルにあるクロノグラフを発見した。
「これ、見せてください!」「はい、どうぞ」
手にとって見ると、間違いない、これはF君と同じ『トップタイム』!
「おじさん、これいくらですか?」「えーと、✕✕✕✕✕円です」
その金額は手持ちでまかなえなくもないくらい。ただ、取材先の万年筆店での話しだいでは1本オーダーしようかな、と思っていたから、ここで『トップタイム』にお金を使うと、そのオーダーが完全に不可能になる。
しかし、万年筆はまたいずれオーダーできても、ここで『トップタイム』を買い逃すと、次にどこで出会えるかわからないし、✕✕✕✕✕円なんて値段じゃ絶対、無理だ。
ガラクタ屋で購入した時はチープなラバー・ストラップが付いていたが、汚いので帰りの列車の中ではずして捨ててしまった。オーバーホール完了後はカーフやアリゲーターなど、いろいろなストラップで楽しんだが、最近はデッドストックで入手した1960年代の「TESSUFLEX(テスフレックス)」のステンレス・メッシュ・ブレスレットを装着している。「テスフレックス」はイタリア製で60年代に大ヒット。メッシュ構造自体に伸縮性があるのでバックルはない。ちなみに1965年からはフラットな形状になり、名前も「ELMITEX(エルミテックス)」に変更され、今も販売されている
結局、迷いを振り切り、有り金はたいて不思議な『トップタイム』を購入。多分、店に持ち込んだ人から買い取って、そのまま並べていたんだろう、安っぽいラバー・ストラップが付き手垢にまみれた『トップタイム』は私のものとなった。
その後、東京に帰るとすぐにブライトリング・ジャパンに持ち込んでオーバーホールをお願いして美しく蘇り、『トップタイム』は今も私の腕で元気に時を刻んでいる。
それにしても、あのガラクタ屋に、よくもまあこんな時計があったものだと思う。多分、F君とのやりとりがなかったら目に留まらなかったかもしれない。そう考えると、これはきっとF君が引き合わせてくれたんじゃないかと思うのである。
F君がライターとして参加した時計ムックの最終ページには、スタッフの愛用腕時計が紹介されている。このブラック・ダイアルにホワイトのインダイアルの『トップタイム』こそ、F君の愛用時計そのものである
名畑政治 1959年、東京生まれ。'80年代半ばからフリーライターとして活動を開始。'90年代に入り、時計、カメラ、ファッションなどのジャンルで男性誌等で取材・執筆。'94年から毎年、スイス時計フェア取材を継続。現在は時計専門ウェブマガジン「Gressive」編集長。