先輩の逆鱗に触れてしまった不相応(?)な高級クロノグラフ、ポルシェ・デザイン『ミリタリークロノグラフ』 文=名畑政治

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  • 腕時計の穴場的ショップ

 今ではすっかり影が薄くなってしまったが、地元に掘り出し物がちょくちょく出てくる腕時計の穴場的ショップがあった。そこに1980年代の終わり頃、ヴァルジューのCal.72(「ロレックス/デイトナ」や「ホイヤー/カレラ」、「ブライトリング/ナビタイマー」などにも搭載されたクロノグラフの名作キャリバー)を搭載した「エニカ」のクロノグラフが店頭に並んでいて、「いつか買ってやろう」と思いつつ、決断がつかないまま眺めていたことがあった。

 しかし、ある日、「今日こそ買うぞ!」と現金を用意して出かけたところ、なんと店頭から消えているじゃないか。

「すみません、そこにあったエニカのクロノグラフは?」「ああ、先週売れた」「今日こそ買おうと思ってきたんですけど…」と肩を落とすと、店主の若旦那がこう言った。「エニカより、もっといいのがあるよ」「なんです?」「ポルシェ・デザイン」「エッ? 高いでしょ…」「同じくらいだよ」「じゃあ見せてください」「今、自宅に置いてあるから、今度、持ってきておくよ」「お願いします」ということになった。

機能は通常の時分針に加え、センターにクロノグラフ秒針と60分積算計。インダイヤルで24時針、12時間積算計、スモールセコンド。そして3時位置の窓に日付と曜日。

これだけの機能を搭載しながら、すっきりまとめられているのが、さすが「ポルシェ・デザイン」。日付表示が嫌いな私も、このクロノグラフでは、まったく気にならない。文字盤の「3H」とは三重水素、つまり発光体であるトリチウムのこと。搭載キャリバーはレマニアのCal.5100。日付と曜日を搭載した最初期の自動巻きクロノグラフ・キャリバーだが、すでに製造終了している



やっとの思いでポルシェ・デザインと対面


 一週間ぐらい後、店に行くと「ごめん、まだ持ってきてないんだ」「じゃあ、また今度」。さらに一週間後、「ポルシェ・デザインどうなりました?」「悪い悪い、次は持ってきておくから」「お願いします」てなやりとりを繰り返した結果、ついにしびれを切らした私は、「エニカ」と同じぐらいの現金を用意し、仕事に行く前に店に寄って「ポルシェ・デザイン」を買おうと決意して店に向かった。

 ところが、やっぱり若旦那は時計を持ってきていなかった。「いや、今日はもう買うから持ってきてくれませんか?」「時間ある? 30分ぐらい待ってくれたら持ってくるけど」「待ちますよ!」

 ということで、ついに「ポルシェ・デザイン」と対面。若旦那から手渡された「ミリタリークロノグラフ」は、使った形跡がほとんどなく新品同様。若旦那も「ウチはオーバーホールしてから店に出すんだけど、時計師に見せたら『まだ手を入れる必要がない』っていうから、その分、3000円引いとくよ」と値引きしてくれた。


昔の「ポルシェ・デザイン」ではIWC製が有名だが、これはさらに前の「オルフィナ」製造モデル。ミリタリー仕様らしく、渋い艶消しのケースが採用されている。手元にある1979年の雑誌を見たところ、22万円と紹介されていた。入手価格はだいたい、その1/4ぐらい
 いくら30何年前でも3000円じゃあオーバーホールできないだろうけど、それが何度も無駄足を踏んだ私への、若旦那のせめてもの誠意だと思うことにした

先輩の逆鱗に触れる


 こうして念願の「ポルシェ・デザイン」を手に入れた私は、ウキウキしながら某出版社に向かい、仕事を始めたところ、尊敬する先輩ライターがやってきた。そこでつい「ポルシェ・デザイン」入手の件を話したところ、これが先輩の逆鱗に触れてしまったのだ。

 当時、その先輩は赤貧洗うが如しの状況。才能はあるが、お金にはとんと縁がない。そんな先輩にとって「ポルシェ・デザイン」なんて“高級クロノグラフ”を仕事に行くついでに買ってきた後輩が許せなかったのだろう。突然立ち上がると、大きな声でこう言い出した「皆さん、この人はですね、仕事に来る前に、こんな高い時計を買ってくるような、そんな男ですよ!」

 なんか俺、悪いことした? なんでそんなに怒られなきゃならないの? まったく理不尽だが、とにかく私の買い物は、当時の先輩には理解不能だったのだろう。

 しかし、これをきっかけに先輩との仲が険悪になった、なんてことはなく、その後も普通に付き合うどころかバンドを組んでライブをやったり、自宅にお邪魔してご飯をごちそうになったりと親しく付き合ったのである。


「ポルシェ・デザイン」のかつてのロゴが刻印されたリューズ。しかし不思議なのはケースの材質と仕上げ。艶消し処理を施したステンレス・スチールのはずだが、なんと錆びる! 汗をかく夏場に使用し、しばらく置いておくとラグの付け根あたりにうっすらと錆びが浮いていたりするのだ。その際はオイルを綿棒につけて錆をこすり落とすが、スポーツウオッチとして、これでいいのか? と少々、疑問。ただし、まだボロ錆びにはなっていないのは幸いだが…


 しかも、その数年後、先輩はある企画が当たってお金に不自由することがなくなり、スポーツタイプの新車をオーダーするまでとなった。この時、数年前の極貧状態から脱出できたことを、ちょっとからかって「成金じゃん!」と言ったら、「成金じゃないよ」とムキになって否定したのが逆に面白かったね。

 その先輩も数年前、がんを患って帰らぬ人となってしまった。だから今でもこの「ポルシェ・デザイン」を腕にする時、ちょっとだけ懐かしい先輩のことを思い出すのである。

 

名畑政治  1959年、東京生まれ。'80年代半ばからフリーライターとして活動を開始。'90年代に入り、時計、カメラ、ファッションなどのジャンルで男性誌等で取材・執筆。'94年から毎年、スイス時計フェア取材を継続。現在は時計専門ウェブマガジン「Gressive」編集長。

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