取材先で偶然に入手した、名門モバードのシンプル・モデル 文=名畑政治

取材先で偶然に入手した、名門モバードのシンプル・モデル 文=名畑政治

今から37年前に新潟県村上市の時計店で入手したモバードの三針手巻きモデル。おそらく1950年代初期の製品かと思う。ピッグスキンのストラップは付属していたものではなく、あとで私が付けたもの。かつてピッグスキン・ストラップは高級時計の代名詞だったが、今ではなかなか良質なものを見つけることができなくて残念

 

手にすると蘇る、あの暑い夏の思い出

 

 1985年8月。御巣鷹山に日航123便が墜落し、夏の甲子園決勝でPL学園が劇的な勝利を勝ち取った、あの暑い夏の終わりに、私は新潟県村上市にいた。

 ここは三面川に遡上する鮭で栄えた町。当時、駆け出しのライターだった私は、某婦人誌の全国うまいもの紹介の取材で、この町の鮭料理屋さんを訪ねたのだ。

 取材は無事に終了。あまった時間は村上の町をブラブラ歩くことにした。最初に入ったのは半分電器屋、半分レコード屋という変な店(失礼。でも多分、もうないだろうからいいや)。なんとそのレコード屋には昭和40年代の歌謡曲、たとえばピーターの「夜と朝のあいだに」とか平山三紀の「真夏の出来事」なんて名盤シングルがゴロゴロ、ではなくてキチンと整理され並んでいた。「うわぁ! なんだコレ?」ってわけで目についたシングルを片っ端から手に取り、店主に手渡したところ、真面目な顔で語りだした。

「このレコード屋は家内が趣味で始めたのです。そして家内が亡くなった今も、レコードを形見のようにして飾ってあるのです…」

 何だそりゃ? つまり売ってくれないってことらしい。それなら奥に引っ込めておけ! と怒り心頭で店を出た。

 プンプンしながらしばらく歩くと時計屋が見えてきた。もちろん、入るに決まっているのである。

 地方の時計店にしては間口の広いそのお店、中に入ると驚くほど大量の時計やメガネが展示され、中にはデッドストックと思われる古い時計もチラホラと見えるではないか!

 そこですぐに目に止まったのがモバードのセンターセコンド・モデル。それがつまり、今回、ここで取り上げるものだ。

 

ケース直径は33.5mm、厚さは手巻きなので約10mmと結構な薄型。腕時計のサイズは拡大の一途を辿り、今では40mmオーバーが常識だが、かつては通常で32~33mm、大きくても36mmぐらいが限界だった。なお、ラグにバネ棒を押すための穴が合いているのが実用性重視で好ましい

 

「すいません、コレ見せてください」「はい」と気軽にショーケースから取り出す店主。当時、すでに古い機械式時計は人気だったので、店によっては都会から来たコレクターに警戒し、出し惜しみしたり、高い値段をふっかけてくる店もあった。しかし、その店はまるでそんなことはなかった。

「じゃあコレください。いくらですか?」と言ったことまでは覚えているが、その価格が値札に書いてあったのか、あるいは店主が口頭で伝えてくれたのか、まるで記憶がない。しかし、店主が提示した価格は、“入荷当時の”というより、“古くなった売れ残り”というディスカウント価格だったからラッキーだった。

 

 

使った痕跡のない新品同様のデッドストック

 

 

 しかも、入手してシゲシゲと眺めたところ、この時計、まったく使われた形跡がないし、経年劣化もほとんど見られない。ベゼルもケースもピカピカ。特に裏蓋には大きな「MOVADO」のロゴと手に握られた時計のイラストがスジ彫りされているのが珍しく感じた。

「MOVADO」のロゴと懐中時計を握る手が大きく刻まれた裏蓋。これと同様の装飾が施されたモバードの現物を、これまで見たことがなかったが、原稿を書いている時にネットで検索したら、1個だけ見つかった。やはりこのタイプはあまりたくさん作られなかったようだ

 

 

 実際、このイラストは昔のモバードの広告に登場する図版で、握られているのは懐中時計。その下に並んだゴニョゴニョした模様が刻まれたリングの連なりは、モバードが各地の博覧会で獲得したグランプリのメダルを表しているらしい。そして、この図版は裏蓋の内側に小さく刻まれることが多く、裏蓋いっぱいに描かれているのは極めて珍しい。事実、私もこのイラストが裏蓋に刻まれたモバードは他に見たことがない。

 実はこの珍しさが災い(?)したことがあった。それは数年前、行きつけの修理工房にオーバーホールを頼んだ時。馴染みの時計師さんは「こんな裏蓋のモバード、見たことないですね。本物ですか?」と模造品を疑った。ところが実際に蓋を開けてムーブメントを見たところ、モバード自社製のムーブメントを搭載する真作と判明。受け取りの時、「この間は『偽物かもしれない』なんて言ってすみませんでした」と謝られた。

 

リューズもトンガリ部分が大きな独特の形状。このタイプのリューズが付いたモバードも、あまり見たことがない。ローレットを刻んだ部分が薄めだが、巻き上げと張り合わせの際、これで十分に機能する

 

 

 というわけで入手してから30年以上も経過したモバードだが、オーバーホールもせず放置していた期間が長く、実際にはあまり着用してこなかった。しかし、こんなシンプルなモデルこそ、アンティーク時計の本当の魅力が宿っているように思う。プレミアのついた有名モデルも良いけれど、日々の生活の相棒としては気軽に着けて楽しめる、こんなベーシックなモデルが良いと思う。

 蛇足ながら、実はこの時計店で入手したのはモバードだけではなかった。今後、話の展開次第ではこの店で購入した他の時計も登場するかもしれないので、あまり期待しないでお待ちいただければ幸いである。

 

名畑政治  1959年、東京生まれ。'80年代半ばからフリーライターとして活動を開始。'90年代に入り、時計、カメラ、ファッションなどのジャンルで男性誌等で取材・執筆。'94年から毎年、スイス時計フェア取材を継続。現在は時計専門ウェブマガジン「Gressive」編集長。
 

 

 

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